夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

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 みなさまにプレゼントのお知らせです🎉🎁🎁🎁🎊

 

 長年のサポートに対する御礼といたしまして、電子書籍サイトのパブーよりグレート・ギャッツビーの日本語訳を発表いたしました。もちろん無料です。

 

 縦書き形式でつくってありますので、できればePub でダウンロードしていただければ読みやすいかと思います。PDFでもダウンロードが可能ですが、こちらは横書きになります。縦書き仕様で作ったため、英文は全部削りました。先生方の本と照らし合わせて、最低6回は全文を読み直して、あちこち直して十日かかりました。特に横書きのものを縦書きにするのが大変でした。アラビア数字を漢字に直さないといけなかったし。ブログの修正には手が回りませんでした。大きな訂正は。。。やっぱり考えてニックの職業を証券マンにしたこと。原文のbondは債権の方が近いと思うんですが、あまりにたくさんの人が証券マンとしているので合わせました。

 

電子図書のURLはこちらです。

 

https://puboo.jp/book/130895

上のURLをクリックして、電子図書出版のパブーのサイトに飛んだら、真ん中へんにあるダウンロードのEPUBかPDFをクリックしてくださいね。EPUBは、お手持ちの機種にEPUBリーダーをインストールしてもらわないとみれません。iPhoneやiPadの方は既存のiBooksでEPUBが読めますね。PDFはどんな機種でもすぐ見れますが、残念ながら横書きになるようです。。。 

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本の表紙

 

 訳者後書きをここに引用いたします。

 

 二〇二〇年の六月から、新型コロナウイルスの世界的広がりによるストレスに呼応するように、ブラック・ライブズ・マターというスローガンの下、様々なデモが起き、アメリカやイギリスで奴隷商人の像やコロンブスの像が破壊されるという事件が起こっている。一方で破壊行為に非難の声をあげ、像を守ろうとしている人たちもいる。感染の広がりを抑えるために、人々は外出を制限され、そのため多くの人が職を失う結果になり、子供たちは学校に行けず、ウイルスという目に見えない敵によるストレスだけではなく、一九二九年の世界大恐慌を超える経済大停滞期に直面するのではと言われている。そして、日本やオーストラリアなど感染の封じ込めに成功した国がある一方、ウイルスは世界に広がり、日々死者を増やしている。これらの不安がこうした対立となって吹き出しているのかと思う。

 

 確かに、自分が差別される側であるならば、自分の祖先を奴隷として扱うことで巨万の富を築いた人間の像が、街の真ん中に誇らしげに立っているのを見るのは愉快ではないに違いない。だけど、グレート・ギャッツビーでニックがいうように「過去は繰り返せない」のだ。過去に戻って人類の過ちを一から正しい方向へやり直すことなんてできない。今、大事なことは過去の遺物である像を壊し、暴力の姿を世界に見せつけることではなく、世界が大変な時だからこそ、なんとか対立する相手との共通点を探しだし、理解と共感の種をまくことなんじゃないかと思う。みんな幸せを願う人間なんだから、何か格差を超えて理解しあえるもの、寄り添えるものが見つかるような気がする。こんな暗い世相だからこそ明るいニュースが見たい。

 

 グレート・ギャッツビーの背景には、階級差とそれによる差別がある。貧しい家庭に生まれたギャッツビーは、その差別を乗り越えるために、自力で教養を身につけ、あらゆる手を使って富を築き上げ、自分が憧れる上流社会の女性を手に入れることで、自分の夢を完結させようとした。そして、その夢に一途になる一方で、自分が求めた上流社会の女性、デイジーを本当に愛していることに気づいてしまい、彼女との愛に生きる喜びに目覚めたんだと思う。それが、八章での「自分が何をしたいのかを彼女に話す時の方がもっと幸せなのに、偉大なことを実際に成し遂げる意味なんてあるだろうか?」というギャッツビーの告白に表れていると思う。また、デイジーが犯した罪を自分がかぶろうとする行為にも彼の愛が垣間見える。もちろん、デイジーへのアプローチの仕方がちょっと強引すぎたのはマズかったんだけど。

 

 デイジーは結婚して母となり、夫の不貞に呆れながらも、現実を見つめることに精一杯で独身の頃の夢を忘れてしまい、ギャッツビーの夢にはついていけなかったんだろう。それが七章で他人の結婚式の音楽を耳にして「わたしたちも年をとったわね。(中略)若かったら立ち上がって踊ってるのに」というデイジーのつぶやきでわかる。そしてロミオとジュリエットのように、二人は結ばれる運命にはなかった。

 

 でも、ギャッツビーの夢が、出自には関係なく誰もが幸せになれる社会を築きたいというものであるならば、現在、特に大きな問題に人類が直面している時に、この物語が示唆を与えてくれるような気がする。そしてそういう人に寛容な社会こそギャッツビーが真剣に願ったものだと思う。そういう社会であって初めて、彼は自分が選んだ女性と幸せな人生を歩める可能性も出てきたわけだから。アメリカの公民権運動を率いたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士が一九六三年八月にワシントンで行った「私には夢がある」という有名なスピーチにも、共通する理想が浮かび上がる。彼は言った。いつの日か自分の幼い四人の子供たちが、肌の色ではなく人格で評価される国に住みたいと。そしてあらゆる丘や山は平らにされ、曲がった道はまっすぐにならされ、誰もがその栄光を享受できる国であるようにと。これはアメリカだけの夢ではない。キング牧師の叫びから約六十年経った今も、まだまだ世界は改善の余地がありそうだ。

 

「ギャッツビーは緑の光を信じてた。オレたちから年々遠ざかっていく眩しい未来を信じてた。そして、結局、オレたちの手からこぼれ落ちていってしまったけど、大丈夫だよ・・・明日はもっと早く走って、もっと遠くまで腕を伸ばすから・・・そしていつの日か、ある晴れた朝に・・・だからオレたちは、流れに逆らう船のように、前へ前へとこぎ進んでいく。絶え間なく過去へと押し流されていきながら」

 ギャッツビーとニックから夢のバトンを引き継ごう。そして次の世代へ手渡していこう。