夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

使える英語 スティーブ・ジョブズのスピーチ 2

youtu.be

 

使える表現がたくさんあるから、今日もゆっくりみてみよう😆

 

このスピーチでは、ジョブズの英語は聞き取りやすい上に、適度な速度で読んでいるので英語の勉強には最適だと思う。

ネイティブの人が英語を教えるYouTube 番組で、何人かの違う先生が指摘していたんだけど、ネイティブが him とか his を文章の中で言う時 h の音を発音しない。

だから、このスピーチでジョブズが  Do you want him? っていう時、大げさに書くと ドゥー ユー ワニーム? みたいに聞こえる。それで外国人が聞いた時、何を言っているのかわからないことが多いんだって。ほんとそう言っているんで、注意して聞いてみて。


1:12-2:10


It’s started before I was born. 

My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. 


She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. 


Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: “We’ve got an unexpected baby boy; do you want him?” 


They said: “Of course.” My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start in my life.

 

 

to put me up for adoption. 

すぐ後で出てくる set for me to be adopted と同じ意味。英語は同じ言い回しを嫌うので、言い換えた。


felt very strongly   思いつめる

Feel もこう使える。


popped out  

ネイティブは pop という動詞をよく使うけど、日本語で一語では表現しきれない。はじけ飛ぶ、立ち寄る、ポンと置くとかいろんな状況で使うので、別のところで見かけたら注意してみて。今回は「赤ちゃんがポンと出てきた」というニュアンス。

 

at the last minute 

土壇場で


on a waiting list   予約待ちリストに名前が載っている

これも結構使う時がある。

 

found out   わかる、見つける


relented  「態度を和らげる」だけど、今回はしぶしぶ承諾するの意味。

 

 

 

〈だいたいの訳〉

それは私が生まれる前から始まりました。

実母は若くて未婚の大学院生で、私を養子に出すことにしたのです。


母は息子を大卒者の養子にすべきだと強く思っていたので、私が生まれたときには弁護士とその妻の養子になるようにすべてが準備されていました。


しかし、私が生まれたとき、彼らは土壇場で「どうしても女の子がいい」と言い出したのです。そこで、順番待ちをしていた私の両親に、夜中に電話がかかってきました。「予期せぬ男の子が生まれたんですが、養子にいかがですか?」


彼らは「喜んで」と答えました。実母は、育ての母が大学を卒業していないこと、育ての父が高校を卒業していないことを後で知り、養子縁組の書類にサインすることを拒否しました。数ヵ月後、育ての両親が私を大学に行かせると約束すると、母はしぶしぶ承諾しました。これが始まりでした。