夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

星の王子さま ブログで読める新訳 XXVII-1

それから、6ねんたった・・・
このはなしは、だれにもしたことがない。ぼくがぶじにもどって、いきてかえったことをみんながよろこんでくれた。かなしかったんだけど「つかれた」とだけいった。
いまは、かなしみもすこしいえてきた。ぜんぶじゃないけど。おうじさまが、じぶんのほしにかえったとおもってる。つぎのあさもどってみたら、おうじさまのからだがみつからなかったから。そんなにおもくはなかったんだろう。よるになれば、ほしのこえをきくのがすきだ。まるで5おくのちいさなベルのようだ。
ひとつだけ、きになっていることがある・・・おうじさまのヒツジにくちわをかいてあげたとき、かわひもをかくのをわすれてしまったんだ。そのままでは、ヒツジにつけることができないだろう。おうじさまのほしはどうなったかとおもう。もしかして、ヒツジはあのはなをたべてしまったのではないか?

でも、いつもこういいきかせている。「そんなことはぜったにない!おうじさまは、よるにはあのはなに、ガラスのうつわをかぶせて、ヒツジをいつもみているんだ・・・」そうおもうと、うれしくなってくる。ほしのわらいごえぜんぶが、うつくしくきこえる。

でもべつのときには、こうおもう。「だれだってときどき、うっかりすることもある。そしたらとりかえしがつかない!あるばん、ガラスのうつわをかぶせるのをわすれて、ヒツジがこっそりぬけだしてしまったら・・・・」そんなとき、ちいさなベルはなみだのつぶにかわるのだった。

そうおもうと、ほんとふしぎだ。ちいさなおうじさまがすきなみなさんも、ぼくのように、よぞらがまったくちがってみえるとおもう。どこかわからないところで、いちどもみたことがないヒツジが、バラをたべたかしら・・・ときになってくる。

よぞらをみあげて、かんがえてほしい。ヒツジははなをたべただろうかって。そうしたら、なにもかもがちがってくるとおもう。

それがどんなにたいせつなことなのか、おとなはぜったいにわからない。