夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

ポリアンナ 第2章 トムじいやとナンシー

屋根裏の小部屋で、ナンシーは隅々にまで目を配りながら、床を掃き、ほこりをはらうことに忙しく働いていました。ほこりをただはらうだけではなく、仕事を元気よくこなしていけば、気が休まったのです。ナンシーは、女主人にはびくびくしていますが、根っからの聖人君子というわけではなかったのです。
「あたしゃ、ほんとに、あの人の、心の、すみずみも、そうじしてやりたいよ!」
言葉のリズムにあわせて、はたきを振りながら、ぶつぶつつぶやいていました。
「そうじしなけりゃいけないってのは、わかるよ、そうさね。かわいそうな子を、この暑い屋根裏部屋にあげちまおうっていうのは、どういう了見かね!冬には暖房もないんだよ。そのうえ、お屋敷には部屋が山ほどあるのにさ!まったく、望まれていない子どもってわけさ!へっ!」ナンシーはそう毒づいて、ぞうきんを思い切り固く絞ったものですから、指が痛くなりました。
「今一番必要ないのは、本当に子どもかしらね!」
やがて、黙って働き始め、仕事が終わると、かざりっけのない部屋を軽蔑のこもった目で見回しました。
「とにかく、あたしのやるべきことは、終わったってわけね」とため息をつきました。
「ほこりはなくなったと。そして、ここに誰かさんがくるわけだ。かわいそうな子!ホームシックでさびしい子どもを押し込めるには、まったくうってつけの場所だよ!」
そうじを終えて部屋から出ると、ドアをバタンと閉めてしまいました。
「しまった!」と小さく悲鳴をあげ、くちびるをかみました。でもそれから、きっぱりといいました。
「そうだ、もうかまわない。聞こえてくれたほうがいいくらいだよ。そうだ、そうだ!」
その日の午後、庭園で、ナンシーはトムじいやと話をするひと時をみつけました。
トムは何十年も、雑草を抜いたり、小道を整えたりしてきたのでした。

ナンシーは、見られていないことを確かめるためにチラッと後ろに目をやってから話しかけました。
「トムじいや、奥様と一緒に住むために、小さな女の子がこっちに来るって知ってた」
「なんだって?」
その老人は、のびにくい腰を苦労して伸ばしながら、聞き返しました。
「女の子が、奥様と一緒に住むようになるんだって」
「冗談をいっちゃいけねぇよ」
トムじいやは信じてはいません。
「それいうなら、お前さん、明日は太陽が東に沈むっていいねぇ」
「あら、ほんとだよ。奥様がそうおいいだったんだから。姪っ子だって、11歳だって」
ナンシーは答えました。
老人は口をあんぐりあけました。
「はっ!やっとわかったさ」
そうつぶやくと、目がやさしく輝き始めました。
「たぶん、いやそうにちげぇねぇ。それは、ジェニー嬢様のお子さんじゃ!ジェニー嬢様以外のお子さんは結婚しておらんれんし。ああ、ナンシー、それはジェニー嬢様のお子さんじゃよ。ありがたいおぼしめしじゃよ!わしの老いた目で、それが見られるなんて!」
「ジェニー嬢様って誰さ?」
「嬢様は、天国からおこしになった天使じゃよ」勢いづいてトムじいやはいいました。
「もちろん、檀那様と奥様にとってはただの長女さんじゃったがな。嬢様は二十歳で結婚されて、ずいぶん前に去っていかれてしもうた。お子さんが生まれなさっても、みんな亡くなられて、末の子だけが残ったときいとる。その子が来るんじゃろう」
「11歳だってさ」
「もう、それぐらいになろうの」老人はうなずきました。
「それで、その子は屋根裏部屋に寝ることになるんだよ!あのケチンボめ!」ナンシーはまた、チラッと後ろの邸宅をふりかえって、不満げにいいました。
トムじいやは一瞬顔をしかめましたが、妙な笑いをうかべました。
「ポリー嬢様はその女の子とこの家でどうやっていかれるかの」
「へっ!それをいうなら、その子が奥様とこの家でどうやっていけるかが問題よ」ナンシーはぴしゃりと言い返しました。
じいやは笑っていいました。
「お前さん、ポリー嬢様が好きでないとみえるの」
「まぁ、まるでみんなが奥様を好きみたいな口ぶりじゃないのさ」ナンシーは軽蔑するようにいいました。
トムじいやは、またあいまいな笑いをうかべましたが、しゃべるのをやめて仕事にもどりました。
「お前さんは、ポリー嬢様が恋愛をなさってたってのを知らんのじゃろうな」トムじいやは、また、ゆっくりした調子で話しかけました。
「恋愛ですって!奥様が!信じられない。誰だって信じられないって思うだろうよ」
「あぁ、たしかにそんなこともあったさ」じいやはうなずきました。
「そして相手の方もいらっしゃる。この町にな」
「誰よ?」
「いわれねぇ。わしがしゃべるもんじゃねぇ」
老人は腰をのばして、淡い青い目を屋敷のほうに向けました。そこには、長年家族に奉公してきた忠実な働き手であるという誇りがにじみ出ていました。
「でもさ、奥様に恋人がいたってちょっと信じられないよ」まだ、ナンシーは言い続けます。
じいやは首をよこにふりました
「お前さんは、ポリー嬢様のことをわしほど知っちゃいないからだよ。ポリー嬢様はほんとにおきれいだった。もし、そう心がけられれば、今だってきれいになれるさ」
「奥様がきれいですって!」
「そうともさ。ひっつめにしている髪を、昔みたいに長く伸ばして、花なんかつけて、レースやら、白いお召し物なんかで出られれば、どれだけおきれいか!ポリー嬢様は、まだそれほど年はいっちゃいねぇよ、ナンシー」
「そうなのかい?それなら、どこかにすばらしい肖像画でもあるにちがいないね」ナンシーはフンと鼻をならしました。
「そうさね。恋人とのいざこざがあって、女らしさが全部どっかにいってしまって、難しい方におなりになったよ」じいやはうなずいた。
「昔はそうだったんでしょうけど。今は、どんなにがんばったって、誰も奥様を喜ばせることなんかできはしないよ。もし、家族を養うためにお金なんかいらなくてすんだらね、あたしだって、こんなとこには来やしないんだけど。でも、いつかはね、あたしのほうから『さよなら』っていってやるさ」
じいやは首を横に振りました。
「気持ちはわかるさ。わしもそう思う。じゃが、最高の場所なんてないんじゃよ。覚えておきな。最高の場所なんてないってことをさ」
じいやはまた頭を下げて、働き始めました。
「ナンシー!」お屋敷から鋭い呼び声が聞こえました。
「は、はい、奥様!」
ナンシーはどもりながら、急いでお屋敷の方へ駆けもどっていきました。