夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

少女ポリアンナ 第24章 ジョン・ペンデルトン

ポリアンナは翌日もその次の日も学校には行けませんでした。時々、意識を完全に回復すると、矢継ぎ早に質問していましたが、どれだけ日がたっているのかわからなくなっていました。
ポリアンナはうつうつとしたままで、何もわかっていませんでした。やっと一週間ほどして、熱もおさまり、痛みも少しうすらいできて、意識がはっきりと戻ってきました。それから、また何が起こったかを聞かされたのでした。
「じゃあ、怪我をしたんであって、病気じゃないのね」やっとため息をつきました。
「それならうれしいわ」
「う、うれしいですって、ポリアンナ?」ベッドのわきに座っていたおば様が聞きました。
「ええ、だって、一生寝たきりのスノウ夫人より、ペンデルトンさんみたいに足が折れたほうがいいわ。一生寝たきりだと治らないけど、折れた足は治るんですもの」
足が折れたことにはさわらないようにしていたポリーは、急に立ち上がると、向かいの鏡台のところに行きました。いつもの断定的なそぶりとは打って変わって、心そこにあらずというふうに置いてあるものを、取り上げたり戻したりしていました。ぼうっとした目つきはしていませんでしたが、顔は真っ青で、ひきつっていました。
ポリアンナはベッドから、窓に吊り下げられたガラス玉のプリズムが天井に反射して色鮮やかな影がちらちらするのを見ていました。
「天然痘にかかったんじゃないから、うれしいわ」満足そうに小さくいいました。
「そうなったら、そばかすより大変だわ。それから百日咳でないのもうれしいわ。前にかかったことがあるけど、それはひどかったの。それに、盲腸でもはしかでもないことがうれしいわ。はしかになればだけど、人にうつるし、そうだったら、ここに寝てはいられないものね」
「いい子ね、いろんなことがうれしいみたいね」ポリーおば様は口ごもり、くせになってしまっている、のど元に手を当てる仕草をしました。
「そうなの。いつも考えてるの。たくさんのことを。虹を見たときとかね。虹は大好きなの。ペンデルトンさんがガラス玉をくださって、ほんとにうれしいわ!まだ他にもうれしいことがあるの。最初はそうは思えなかったけど、今は怪我をして本当にうれしいって思ってるのよ」
「ポリアンナ!」
ポリアンナはまた静かに笑い、うるんでいる目をおば様に向けました。
「怪我をしてから、おば様はわたしを『いい子』って呼ぶようになったわ・・・前はそうじゃなかったもの。家族から『いい子』って呼ばれるのって、本当にうれしいわ。婦人会の人たちはそうは呼んでくれなかったわ。もちろん、そういってもらえれば、とってもすてきだけど、おば様みたいに、家族からそう呼んでもらえるほうがもっとすてきだわ。おば様と家族になれてほんとにうれしいわ!」

ポリーおば様は何もいいませんでした。またのど元に手をやりました。目は涙でいっぱいでした。向きを変えると、急いで戸口から出て行きました。そこへちょうど看護婦が入ってきました。

その日の午後、ナンシーは、家畜小屋で馬具を洗っていたトムじいやに駆け寄りました。目はかっと見開いていました。
「トムじいや、トムじいや、何が起こったか当ててみてよ」息をはずませていました。
「1000年たったって、当たりっこないよ、そうだよ、そうだよ!」
「それじゃ降参だな」ニヤッとして、老人は答えました。
「なに、あと10年も生きられないかもしれないもんな。さっさと、話しておくれよ、ナンシー」
「よく聞いてよ。奥様と一緒に客間にいる人は誰だと思うかい?当ててみてよ?」
トムじいやは首を振っていいました。
「誰にもわからんだろうて」
「あたしは知ってるよ。ジョン・ペンデルトンだよ!」
「えっ、なんだって!お前さん、冗談だろう!」
「ほんとだよ・・・あたしが中に案内したんだからね。松葉杖ついてたよ!あいさつしたところや、ドアで待っていたところなんか、人付き合いをまったくしない、不機嫌な気難し屋のおやじには見えなかったよ。トムじいや、ペンデルトンは奥様を尋ねてきたんだよ!」
「そうかい、それがどうかしたのかい」
老人は、少しけんかごしにいいました。
ナンシーは軽蔑したように笑っていいました。
「まったく、あたしよりよく知ってるってな口ぶりじゃない」
「えぇ?」
「まったく、知らん振りしてさ」
憤慨したようにいいました。
「最初に、思わせぶりなことをいったのは、じいやじゃないかい!」
「なにをいってるんだい?」
ナンシーは家畜小屋の開いたドアから家の方をちらりと見て、じいやに一歩近づきました。
「聞きなよ!あたしに、奥様には恋人がいたっていったのは、じいやだろう?ある日、あたしは、こっちに2個、あっちに2個みつけて、足したら4個になるって思ったのに、5個になったんじゃない・・・4個じゃないのよ、ちがうのよ!」
わからないというそぶりをして、トムじいやは仕事に戻りました。
「わしに話をしてくれるときゃだな、常識的にものをいってもらわんと」
じいやはつっけんどんにいいました。
「忙しくて、数を数える指はないんでな」
ナンシーは笑いました。
「こういうことさ。いろいろ聞いて、ペンデルトンが奥様の恋人だって思ったのさ」
「ペンデルトンがかい!」トムじいやは腰を伸ばして、立ち上がりました。
「そうだよ。ああ、今はそうじゃなかったってわかってるよ。あの子のお母さんが好きだったんだろ。だから来いって・・・もういいさ」

ポリアンナから、ペンデルトンが彼女に来てもらいたがっていたことは誰にもいってはいけないと約束させられたのを思い出して、あわてていい足しました。
「友達に聞いて回ってから、ペンデルトンと奥様は何年も仲たがいしているってわかったよ。18か20歳のとき、あの二人は恋人だってばかげたうわさがたって、それ以来、奥様はあの人を虫唾が走るほどきらってるって」
「そうさな、覚えてるとも」トムじいやはうなずきました。
「ジェニー嬢様がペンデルトンをふって、他の男と出てしまわれて、3年か4年たったころだったな。ポリー嬢様はそのことを知っておられて、気の毒に思っておったんじゃな。だから、やさしくしてやろうとしたんじゃよ。たぶん、ちょっとやりすぎたんじゃな・・・姉さんをとったあの牧師をきらっておったんじゃ。とにかく、お調子者がはやしたてたのさ。ポリー嬢様がペンデルトンの後を追い回しよるとな」
「あの人の後を追い回してるだって・・・奥様がかい!」ナンシーが口をはさみました。
「わかるさ。でもあいつらはそういったんだよ」トムじいやはいいました。
「もちろん、勝ちきな嬢様にはたえられんことじゃった。ちょうどそのころ、それが原因で、自分の恋人ともだめになってしもうたんじゃ。それから、嬢様はカキのように心を閉ざしてしもうて、何もせず、誰ともかかわらんようになってしもうた。一度に心の底まで凍りついてしもうたんじゃな」
「ああ、わかったよ。そういうわけかい」ナンシーは答えました。
「それなら、玄関であの人を見かけたとき、どれだけ驚いたかがわかるだろう・・・奥様は何年もしゃべってなかったんだからね!でも、あの人に入るようにいって、奥様に伝えにいったんだよ」
「嬢様はなんていったんだい」トムじいやは息をのんでいいました。
「何にもだよ・・・初めはね。まるで聞こえなかったみたいにじっとしていたから、あたしがもう一度いおうかと思ってたとき、静かにこんな感じにいったのさ。『ペンデルトンさんに、今すぐ参りますと伝えなさい』だから、あの人にそういったのさ、それから、あんたのところに来たんだよ」
話し終わって、ナンシーはまた後ろを振り返って、屋敷の方を見やりました。
「はん!」トムじいやはそううなると、また仕事に戻りました。

ハリントン屋敷の豪華な客間では、ジョン・ペンデルトンが、ポリーの足早に下りてくる足音を聞くまでに、それほど時間はかかりませんでした。ペンデルトンが立ち上がろうとしたので、ポリーはその必要はないという仕草をしてみせましたが、握手の手を差し出すことはせず、顔は冷たく凍り付いたままでした。

「わたしは・・・ポリアンナの様子をうかがいに参りました」少しこわばって、男は話しかけました。
「ありがとうございます。あの子の容態には、変わりありませんわ」ポリーはいいました。
「それは、つまり・・・わたしには、あの子の容態を教えてはくださらないということですか?」
男の声は、今度は少し取り乱していました。
悲嘆の色がさっと女の顔に浮かびました。
「お話しできないんです。いくらお話ししたいと思いましても!」
「つまり、ご存じないとおっしゃられるんですね?」
「そうです」
「では・・・医者は?」
「ウォレン先生も・・・わからないのです。先生はニューヨークの専門医と連絡をとっておられます。すぐに診療が受けられるようにしてくださるでしょう」
「でも・・・あの子はどこに怪我をしたんですか?」
「頭にかすり傷があり、打ち身が数箇所あるのですが・・・脊髄の損傷により・・・腰から下が麻痺しているようなのです」
男は低いうめき声をもらしました。しばらく黙った後、かすれ声で尋ねました。
「それで、ポリアンナは・・・これをどうとっているのですか?」
「それが、まったく知らないんですわ・・・どんな様子なのだか。わたし、あの子に話すことができないんです」
「でも、あの子だって・・・何か知らなければならんでしょう!」
ポリーは、近頃すっかり癖になってしまっている、手をのど元に当てる仕草をしました。
「ええ、そうです。あの子も・・・動けないことは知っています。でも、足が・・・折れているものと思っているのです。あの子は、スノウ夫人のように一生寝たきりなのではなく、あなたのように足が折れただけでうれしいというのです。折れた足は治りますが、スノウ夫人のは・・・治らないと。こんなことをいつも申しますので・・・わたしは・・・死にたくなります!」

女の悲嘆にくれる顔を見たとき、男の目に涙がにじんできました。無意識に、ポリアンナに来るよう最後に懇願したときの、少女の言葉を思い出していました。
「ああ、おば様から今離れることなんてできません!」

平静を取り戻すと、静かに聞いてみる気になりました。
「ハリントンさん、ご存知でしょうか。わたしが本気でポリアンナと一緒に住もうとしていたことを」
「あなたとですって!・・・ポリアンナがですか!」
女の声の調子に、男は少しためらったようですが、また話し出したときには、表情のない静かな声になっていました。
「そうです。あの子を法的に養女としたかった・・・つまり、ご承知のとおり、正式な遺産相続人としたかったのです」
向かいのいすに座っていた女は少し安心したようでした。この養子縁組により、ポリアンナにとって、どれほど輝かしい将来が開かれるのか、急に見えてきたのです。また、この男の富と地位にあこがれるほど、ポリアンナが年齢がいっており、欲があるのだろうかとも思いました。

「わたしは、ポリアンナをとてもかわいがっています」男は続けたました。
「かわいいと思うのは、自分のためでもありますが、あの子の母親のためでもあります。ポリアンナにはこれまでの25年間わたしが秘めてきた愛情を思う存分に注いでやりたいと思ったのです」
「愛情ですって!」
ポリーには少女を引き取った最初の頃が急によみがえってきました。それから、その日の朝のポリアンナの言葉も思い出されてきました。「家族から『いい子』って呼ばれるのって、本当にうれしいわ」
この愛に飢えている少女は、25年間秘められてきた愛情に浴することになるのです・・・そして、少女は愛情の意味がわかるほど成長していました。そう思うとポリーの心は沈んできました。また、ポリアンナのいない自分のわびしい未来を思うと、暗澹たる気持ちになるのでした。

「それで?」女はいいました。この自分を抑えた一言に、動揺がほの見えているのを感じ取り、男は悲しい微笑みを浮かべました。
「あの子は、来ないといったのです」
「どうしてでしょう?」
「あなたから離れることはできないそうです。あなたがとてもよくしてくれたといっていました。あなたと一緒にいたいと・・・それに、あなたも、あの子がいてくれることを願っていると信じているのです」そう話し終えると、男は、立ち上がりました。

男はポリーの顔を見ることはしませんでした。その顔は、あえて玄関の方を向いていました。
でも、すぐに早足で駆け寄る音が聞こえて、震える手が、彼の肩にふれました。
「専門医が来て、ポリアンナの容態が何かわかりしだい・・・必ずわたしからあなたにお伝えします」震える声がいいました。
「お越しいただき、ありがとうございました。ポリアンナが喜ぶことでしょう。ごきげんよう」