夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

ポリアンナ 第23章 事故

スノウ夫人に頼まれて、ポリアンナはある日、チルトン先生のオフィスに、スノウ夫人の薬の名前を聞きに行きました。スノウ夫人はうっかりして忘れてしまったのです。
これまでチルトン先生のオフィスの中を見る機会がなく、これが初めてでした。
「お宅にお邪魔するのは初めてだわ!ここが先生の家なんですね!」
興味深そうにあたりを眺めながらいいました。
医者は少し悲しそうにいいました。
「うん、まあ、そんなとこだな」そう答えると、手元にあったメモ用紙に何かを書き付けました。
「でも、家と呼ぶにはあまりに貧弱かもしれないな、ポリアンナ。ただ部屋があるだけだよ。おちつける家じゃない」
ポリアンナは賢そうにうなずきました。目は同情でうるんでいました。
「わかります。家庭には、女性の手と心か、子供の存在が必要なんですよね」
「えっ?」医者は急に振り向きました。
「ペンデルトンさんが、そういったんです」ポリアンナはまたうなずきました。
「女性の手と心か、子供の存在が必要だって。わかるでしょう?チルトン先生、どうして先生は、女性の手と心を求めないんですか?そうじゃなかったら、ジミー・ビーンを引き取ったらどうですか?もし、ペンデルトンさんがいやだっていったらですけど」
チルトン先生は無理 矢理に笑顔をつくりました。
「そうかい、ペンデルトンが、家庭には女性の手と心が必要だっていったのかい?」ごまかすようにいいました。
「ええ、そうじゃなかったら、ただの家だって。どうしてチルトン先生は求めないんですか?」
「どうして、わたしがって・・・何をだい?」医者は机に向き直りました。
「女性の手と心です。ああ・・・忘れてました」
ポリアンナ急に困ったような顔をしました。
「これをいっとかないとって思うんです。昔、ペンデルトンさんが好きだったのは、ポリーおば様ではありませんでした・・・だから二人で、あの家に住みにいくわけじゃなくなったんです。前、そういったんですけど・・・でも、間違いでした。先生、誰にもいってないですよね」少女は、落ち着かないように話を終えました。
「いや、誰にもいってないよ、ポリアンナ」医者はちょっと奇妙な答え方をしました。
「ああ、だったら大丈夫です」ポリアンナは、安心してため息をつきました。
「ねえ、話したのは先生だけなんです。ペンデルトンさんに、先生に話したっていうと、へんな顔をしていました」
「そうかい」医者は唇を曲げました。
「ええ、それに、もちろん、正しくないことだから、たくさんの人に知られちゃ困りますよね。でも、チルトン先生、どうして、女性の手と心を求めないんですか?」
沈黙がしばらく続きました。そして、医者はとてもまじめな顔をしていいました。
「頼んでも・・・いつも得られるとはかぎらないんだよ、お嬢さん」
ポリアンナは考え深げに眉をひそめました。
「でも、先生が頼めば、絶対大丈夫だと思います」少女はいい張りました。一生懸命いってくれているのがわかりました。
「ありがとう」医者は眉をあげて、笑いました。それから、またまじめな顔になっていいました。
「だが、大きなお姉さんたちは・・・そうだな、あまり自分に自信がないんだな。少なくとも・・・受け入れてくれるってふうじゃ、ないんだな」
ポリアンナはまたふくれました。それから驚いたように急に目を見張りました。
「ああ、チルトン先生、もしかして、ペンデルトンさんみたいに、以前、誰かの手と心を求めようとしても得られなかったってことですか?」
医者は急に立ち上がりました。
「さあ、さあ、ポリアンナ、そんなことはいいだろう。他の人たちの問題で、君が悩むことはないよ。スノウ夫人のところに戻らなきゃならないんだろう。薬の名前と、飲み方を書いておいたよ。他にまだ用事はあるのかい?」
ポリアンナは首を振りました。
「いいえ、先生、ありがとうございました」まじめに小声でいって、ドアのほうに向かいました。少し歩きだしたところで、急に振り返って明るくいいました。
「でも、先生が欲しがってらしたのが、わたしのお母様の手と心でなくってよかったわ。チルトン先生、さようなら!」

事故が起きたのは、10月の最後の日でした。学校から急いで家に向かっていたポリアンナは、十分距離があると思い、道路を横切ったのですが、車が猛スピードでやってきていました。

それから、何が起こったのかは誰も知りませんでした。見ていた人は誰もおらず、誰に責任があるのかもわかりませんでした。しかし、ポリアンナは5時に、自分の大好きな小さな部屋で、支えられ、力なく、気を失って横たわっていました。真っ青なポリーおば様と泣いているナンシーが、そっと着替えさせて、ベッドに寝かせてやり、急いで電話をかけて、隣町のウォレン先生に大急ぎで車で来るように頼んだのでした。

「それでさ、あの子のおば様の顔を見る必要なんてなかったよ」医者が到着し、部屋が閉め切られた後、庭に出たナンシーは泣きじゃくって、トムじいやにいいました。「それが、奥様が固執してきた『義務』でやってるってんじゃないってことは、顔を見なくてもわかったよ。義務でやってたら、手がふるえて、まるで、死んでいく天使様を抱いて見てるような目つきにはなりゃしないよ。トムじいや、そうだよ、そうだよ!」
「あの子の怪我は・・・ひどいのかい?」トムじいやの声はふるえていました。
「まだ、わかんないのよ」ナンシーはすすり泣きました。「真っ青で、死んでるみたいだったよ。でも、まだ死んではいないって奥様がおっしゃった。奥様は一生懸命に、心臓が動いているか、息はあるかを確かめようとしてなさったよ」
「どうしてやったらいいんかのう。そんな、そんな・・・」トムじいやは悲壮な顔をしていいました。
ナンシーの口元は少しゆるみました。
「トムじいや、あたしだって、どうにかしてやりたいって思ってるんだよ。何か、よく効く特効薬とか、あの子に力をつけさせるものがあれば、あたしだって欲しいよ。ちぇ!あの子がこんな目に遭うなんて!あの、いまいましい胡散臭いものはいつもきらいだったよ、ほんとに、ほんとに!」
「だけど、あの子はどこを怪我したんだい?」
「それが、わからないんだよ、ほんとに」ナンシーはうなりました。
「頭にかすり傷があるんだけど、たいしたことはないって、奥様がいってた。でも、もしかして、『ダイブ』に損傷があるかもって」
トムじいやの目がかすかに光りました。
「たぶん、それをいうなら『内部』だろうて、ナンシー」乾いた声でいいました。
「嬢様は、内部に損傷があるのかい、わかったよ。あの、いまいましい自動車め!ポリー様だって、そういっていなさるだろうて」
「え?そうさね、それはわかんないけどさ」ナンシーは苦しいため息をついて、首を振りながら屋敷に戻っていきました。
「お医者様が出て行っちまうまで、落ち着いてられないよ。今やらなきゃいけない洗濯物があればいいのに。それも、たくさん、たくさんね!」ナンシーは、落ち着かないように手をもてあそびながら、泣いていました。
医者が帰った後も、ナンシーはトムじいやに教えられることはほとんどありませんでした。
骨に異常はなく、頭の傷もたいしたことはありませんでした。でも、医者は深刻な顔をしてゆっくり首を振り、時間がたってみなければわからないといったのです。医者が帰ると、ポリーの顔やいよいよ青ざめて、もっと悲しげに見えました。怪我人は、意識を回復してはいませんでしたが、安らかな寝息を立てていました。看護婦が呼ばれて、その夜に来る予定でした。ナンシーがいえたのはそれだけでした。それからすすり泣きながら、台所に戻ったのでした。

ポリアンナが意識を取り戻して、どこにいるかがわかったのは、次の日の午前中のことでした。
「あら、ポリーおば様、どうしたの?もうお昼近いの?なんで、わたしは寝過ごしちゃったんだろう?」ポリアンナは叫びました。
「ああ、ポリーおば様!立てないわ!」少女は、無理やり起き上がろうとして枕に倒れこみ、うめき声をあげました。
「いい子だから、まだ寝てなさい」すぐになだめるようにおば様がいいましたが、その声はとても静かでした。
「でも、どうしちゃったんでしょう?わたし、どうして起き上がれないの?」
ポリーは、窓際にいた白い帽子の若い女性に、哀願するような目を向けました。ポリアンナにはその人が見えていませんでした。
若い女性はうなずいて、声を出さずに唇だけを動かして「いいなさい」とポリーに伝えました。
ポリーは、せきばらいし、声が出ないようにしている、のどのかたまりを飲み込もうとしていました。
「昨日、車にはねられて怪我をしたのよ、わたしのかわいい子。でも、もう大丈夫だから、気にしないでね。安心してまだ寝ていて欲しいのよ」
「怪我をしたの?ああ、そうでした、走ったんでした」
ポリアンナは目がくらみました。手を額に当てていいました。
「あら、着替えてるのね、ああ、痛い!」
「ええ、いい子だから、気にしてはいけません。さ、さあ、おやすみなさい」
「でも、ポリーおば様、なんだかとっても、へんで、おかしいんです!足がへんで・・・全然何も感じないんです!」

看護婦の顔を頼むように見やり、ポリーは立っていることがつらく感じて、向こうを向いてしまいました。看護婦が急いでベッドのわきに進み出ました。
「さあ、わたしが話してもいいでしょう」元気よく話しかけました。
「お知り合いになるのはうってつけの時ですね。わたしから自己紹介しますね。ハントといいます。おば様を助けて、あなたを看護するためにやってきました。まず、最初にあなたにお願いしたいことは、この小さな薬をのんでもらうことです」
ポリアンナの目は見開かれました。
「でも、長く看護なんかしてもらいたくないんです!起きたいんです。学校にも行かなくちゃならないんです。わかるでしょう。明日学校に行けますよね?」
ポリーおば様が立っている窓のほうから、小さく声を殺して泣くのが聞こえてきました。
「明日ですって?」看護婦は、明るくほほえみました。
「そうね、そんなに早くは起きられないでしょうね、ポリアンナ。でも、この小さな薬を飲んでちょうだいな。どんなに効くか、みてみましょうよ」
「わかったわ」いやいやながら、ポリアンナは同意しました。
「でも、あさっては学校に行かなければならないわ。だって、試験があるんですもの」
それから、すぐに、少女は学校のこと、自動車のこと、頭が痛むことを話し出しました。でも、飲んだ薬のおかげで、声はだんだん小さくなり、静かになりました。