夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

少女・パレアナ(ポリアンナ)に思うこと

エレノア・ポーターの「少女・パレアナ」(ポリアンナ)の翻訳に挑戦することにした。わりと単純な文章と思ったのだけど、さすが20世紀初頭の作家、よく見れば単語が豊富。
会話が多いので、「言う」という表現に気を使っている。
murmured, announded, trimphed, crowed, cooed, snappedなどなど、多彩。

若干、古風な訳になってしまったが、世界大戦前の話だから、これでいいかとも思う。大富豪のペンデルトン氏が「1ドル札をかむ」という表現があったが、これは今で言えば100ドル札ぐらいの価値があるのだろうか???

女中のナンシーが道化役だ。ナンシーの言葉は英語ではなまっている。たぶん方言を使って訳すべきなのだろうが、そのスキルがなくて残念だ。

子供のころはハイジのロッテンマイヤーさんがこわかったけれど、この物語のポリー・ハリントンもなかなかこわい。大人になってあらためて、読んでみて、できあがってしまった自分の生活を、子供にこわされたくないポリー側の葛藤もわかる。「『義務』といっぽんいっぽんの指にかいてあるような手」はみごとな表現だ。こういう手をいくつも見たことがある。

パレアナ症候群等の言葉もあり、悪しき現状をなんでも肯定してしまい、ただ無理やり「いい面だけ」をみようとする負の影響も指摘されている。しかし、作者がみれば、たぶんその見方は誤解であるというだろう。わたしは、パレアナ(ポリアンナ)の人の心に入り込む勇気を賞賛したいと思う。彼女はいわゆる「いい子」ではない。無礼なこともしょっちゅういっている。だが、見るべきところは、彼女の人に対する「信頼感」ではないか。人の心に踏み込む勇気はその「信頼感」から生まれる。ここに人間関係を改善していくカギがあるのではないかと思う。その点で、この作品は名作だと思う。