夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

ポリアンナ 第15章 チルトン先生

ジョン・ペンデルトンさんのお宅を二回目に訪問したとき、大きな石の邸宅がポリアンナにはとても違って見えました。窓は開け放たれており、年取った女性が、裏庭で洗濯物をほしていました。車寄せには医者の馬車がとまっていました。

前回と同じように勝手口に回って、今回は呼び鈴を鳴らしました。鍵束をかかえて固い鍵を回すのに手が痛いということもありませんでした。

見知った子犬が跳ね回って出迎えてくれましたが、裏庭で洗濯物を干していた女性がドアを開けてくれるまでに時間がかかりました。

「ペンデルトンさんに子牛の足のゼリーを持ってきたんです」ポリアンナは微笑みかけました。
「ありがとう」といて女性はボウルを受け取りました。「誰からだっていえばいいのかい?これは子牛の足のゼリーだね?」

そのとき、医者がホールに通りかかって、女性の声を聞き、ポリアンナのがっかりした顔をみました。医者はすぐに近寄ってきました。
「ああ、子牛の足のゼリーだね?」朗らかに話しかけました。
「それはいいね!きっと、患者に会いたいんじゃないかい?」

「ええ、そうなんです」ポリアンナが満面の笑みを浮かべました。
女性は医者にわかったというようにうなずいて、すぐにホールの端まで案内してくれましたが、驚きをかくせないようでした。

医者の後ろでは、看護士の若い男性が、顔をしかめていいました。
「でも、先生、ペンデルトンさんは誰にも会わないっていってたじゃないですか?」
「ああ、そうだね」医者は落ち着いて言いました。
「でも、今はわたしが指示を出すよ。責任はわたしが負うから」それからいたずらっぽく付け加えました。
「君は知らないんだね、もちろん。でも、この少女は、6リットルのトニックを飲むよりもよく効くんだよ。ペンデルトンの今日の午後の不機嫌を吹き飛ばす手立てがなかったとしても、この子にはできるんだ。だから、この子を入れたんだよ」

「この子は誰なんですか」
一瞬、医者はいうのをためらったようでした。
「この子はよく知られている人の姪っ子だ。名前はポリアンナ・ホイッター。この小さなお嬢さんにお会いする機会は無かったが、わたしのところのたくさんの患者が話してくれたんだ。とても感謝しているよ!」
看護士が笑いました。
「そうですか!それで、このお嬢さんの魔法のトニックの原料は何なんですか?」
医者は首を振りました。
「わからないね。聞いたところによると、周りで起こったこと、これから起こること、すべてに、驚くような、抑えがたい喜びを発揮するらしいよ。とにかく、あの子の驚くべき言動は、何度も聞かされている。聞いた限りでは、『とにかく喜ぶ』ってことが基本らしいよ」いたずらっぽい笑いを浮かべながら、ポーチに出ました。「できるなら、あの子を処方して、買い上げてしまいたいね。箱で買いたいよ。もちろん、この世にあの子がたくさん出回ったら、君とわたしなんか、医者や看護士の仕事で稼げなくなって、リボンを売ったり、溝を掘ったりすることしかできなくなるがね」

その間、ポリアンナは、医者の指示により、ジョン・ペンデルトンの部屋に案内されていました。

途中、ホールの奥の書斎を通り抜ける間、ポリアンナは家の中が大きく変わっているのを見ました。本が並んでいる壁と真紅のカーテンは同じでしたが、床にはごみはなく、机も散らかっておらず、ほこりはほとんどみかけませんでした。電話帳はあるべき場所にかかっており、真ちゅうのまき置きは磨かれていました。なぞめいたドアが開いていて、女性はそこに案内しました。一息おいて、ポリアンナはすばらしい調度品のある寝室に入り、女中が険しい声で、
「もし、もし、女の子がゼリーを持ってきました。お医者様が案内しろとおっしゃったものですから」

次の瞬間は、ポリアンナは不機嫌な顔でベッドに横たわっている男と二人きりになりました。

「こら、わたしはいったじゃないか・・・」怒った声でいい出しました。
「ああ、君か!」ポリアンナがベッドに近づくと、少し乱暴にいいました。
「ええ、そうです」ポリアンナは微笑みました。
「ああ、家に入れてもらってほんとにうれしいわ!だって、女の人にもう少しでゼリーを取り上げられて、あなたに会わずに帰らなくちゃいけないとこだったんです。そしたら、お医者様がいらして、入っていいっていってくださいました。許してくださるなんて、なんていい人なのかしら?」

思わず笑いそうになりましたが、男の口から出た言葉は「ふん!」だけでした。
「それから、ゼリーを持ってきました」ポリアンナは続けました。
「子牛の足です。好きだといいんだけど?」ポリアンナのトーンが変わりました。
「食べたことがないね」かすかな笑いは消え、しかめっ面に戻ってしまいました。
一瞬、ポリアンナはがっかりしたようでした。でも、ボウルを置くとすぐに明るい調子でいいました。
「食べたことがないんですか?そうだったら、嫌いとはいえないわね。でしょう?だから、食べたことがないってことがうれしいわ。これできっと、わか・・・」
「ああ、ああ、わかったよ。今、怪我で寝ているが、きっと、最後の審判の日まで寝ていなけりゃならないだろうよ」
ポリアンナはびっくりしました。
「あら、最後の審判の日までなんてとんでもないわ。大天使ガブリエル様がラッパを吹いて、その日が、思っていたよりずいぶん早く来たとしたら、ああ、もちろん、聖書にはわたしたちが思っているより早く来るって書いてありますけど、でも、わたしにはそんなに早く来るとは思えないんです。ああ、もちろん聖書は信じてます。でも、今来るってわけじゃないと思うんです」
ジョン・ペンデルトンは急に笑い出しました。その時、看護士が入ってきて笑い声を聞き、静かに急いで出て行ってしまいました。その様子は、半分膨みかけたケーキが入っているオーブンのドアをうっかり開けてしまい、冷たい空気が入るのを恐れて、あわてて閉めるコックのようでした。

「ちょっと、おかしいことをいわなかったかい?」ジョン・ペンデルトンがポリアンナに尋ねました。
「たぶん。でも、足が折れたままでずっといるわけじゃないっていいたかったんです。スノウさんみたいに、一生寝たきりでいるってことじゃないでしょう?あなたの怪我が、最後の審判の日まで続くってことは絶対無いわ。そのことが喜べると思うの」
「ああ、喜んでるよ」ニヤッとして答えました。
「それに、折れたのは一本だけだわ。二本折れたわけじゃないのを喜ぶべきだわ」ポリアンナは一生懸命励ましました。
「もちろん、とても幸運だ!」鼻を鳴らし、眉を上げていいました。
「まず最初に、自分がムカデで、足が50本折れたわけじゃないことを喜ぶべきだね」

ポリアンナはクスクス笑いました。
「あら、それ、最高だわ」笑いながらいいました。
「ムカデってなんだか知ってるわ。たくさん足があるのね。だから、あなたは喜んで・・・」
「もちろん」男は、しかめっ面に戻って言葉をさえぎりました。
「それに、他の全部のことも喜ぶべきだね。看護士や、医者や、台所にいる不機嫌な女中も!」
「もちろん、もしこの人たちがいなかったらどれだけ大変かって考えれば!」
「え?、わたしがかい?」
「ええ、そうです。もしそういう人たちがいなくて、ベッドに寝たきりになったらどうするんですか!」
「それが、この問題の本質のようにいうね」男はつっけんどんにいった。
「ここにこうして寝ているっていうのに!とんまな女が家中をぐじゃぐじゃにして、『整頓』だっていうし、男が女の肩を持って、それが『看護』なんだからね。この二人をけしかけている医者には何もいえなくて、結局、こいつらに金を払うのはわたしなんだよ。それもたっぷり払わなきゃならない!」
ポリアンナは心配そうな顔をしました。
「ええ、わかります。それはほんとにつらいですよね。お金をこれまでずっとためてきたんですものね」
「え、何のことだね?」
「お金をためてたってことです。豆やフィッシュ・ボールを食べながら。豆は好きですか?それとも60セント払って、七面鳥のほうが好きですか?」
「ねえ、お嬢さん、いったい何をいってんるんだい?」
ポリアンナは明るく微笑みました。
「もちろん、お金のことです。自分を抑えて、異教徒を救うためにお金をためるってことです。わたしにはわかるんです。だって、ペンデルトンさん、これがあなたが人付き合いが悪いわけではないって思う、もうひとつの理由ですから。ナンシーから聞きました」
男は口をあんぐり開けました。
「ナンシーが君に、わたしがお金をためてるといったのかい・・・さて、ナンシーとは誰なんだい?」
「家にいるナンシーです。ポリーおば様のために働いているんです」
「ポリーおば様かい!じゃあ、ポリーおば様は誰なんだい?」
「ポリー・ハリントンです。一緒に住んでいるんです」
男は突然体をゆすりました。
「ポリー・ハリントン!」息を吸い込みました。
「あの人と一緒に住んでるんだって!」
「そうです。姪なんです。お母様のために、引き取ってくれたんです」ポリアンナの声は弱々しく低くなりました。「お母様はおば様の姉なんです。そしてお父様がお母様の後を追って天国に行かれてから、わたしには婦人会の人以外には誰もいなくなってしまったんです。だから引き取ってくれました」
男は返事をしませんでした。頭は枕に静められ、顔は真っ青になりました。あまりに青かったのでポリアンナを怖がらせたほどです。困惑して立ち上がりました。

「たぶん、もう行かなくちゃいけないと思います。ゼリーがお好きだったらいいんですが」
突然男は顔を向け、目を開けました。目には妙な暗い影があり、それを見たポリアンナは驚きました。
「では、君がポリー・ハリントンの姪なんだな」男はやさしくいいました。
「そうです」
まだ男の黒い瞳は少女の顔にそそがれていました。ポリアンナは少し落ち着かない様子で答えました。
「たぶん、おば様を知ってらっしゃるんでしょう」
ジョン・ペンデルトンは唇をまげて妙な笑い方をしました。
「ああ、知ってるとも」少しためらいましたが、まだ妙な笑いを浮かべていいました。
「でも、ゼリーを送ってくれたのは、まさかポリー・ハリントンじゃないんだろう?」
ゆっくりといいました。
ポリアンナは困ったようにいいました。
「い、いえ、おば様じゃありません。おば様は、絶対におば様からだって思われちゃ困るっていってました。でも、・・・」

「そうだろうと思った」男は納得して、すぐに顔をそむけました。ポリアンナはいっそう困って、爪先立ちして部屋を出て行きました。

車寄せの下には、医者が馬車の上で待っているのが見えました。看護士は階段のところに立っていました。

「さあ、ポリアンナさん、家までおつれしてさしあげましょうか?」医者は微笑んでいいました。「少し前にもう帰ろうとしていたんだが、君を待つことにしたんだよ」
「ありがとうございます。待っていてくださってうれしいわ。馬車は好きなんです」ポリアンナは満面の笑みを浮かべて、差し出された手につかまりました。

「そうかい?」医者は笑って、階段に立っている看護士にうなずいてみせました。「思うに、君はずいぶんいろいろなことが好きみたいじゃないか。そうだろう?」勢いよく馬車を走らせながらいいました。
ポリアンナは笑いました。
「そうかしら。わからないけど。でもたくさんあると思います」ポリアンナはうなずきました。
「『何でも』やってみたいんです。それが、本当に生きていることだって思います。もちろん、きらいなことだってあります。お裁縫とか、声を出して本を読むとか。そういうことは、本当に生きているっていえません」
「違うのかい?じゃあ、なんなんだい?」
「ポリーおば様は、『生活のための学習』だっていってました」ポリアンナは悲しそうな笑いを浮かべながら、ため息をつきました。
医者は今度は少しひきつった笑いを浮かべました。
「おば様がそういったのかい?それじゃあ、おば様はそう思っているんだろうな」
「ええ」ポリアンナは答えました。
「でも、わたしはそうは思わないんです。本当に生きるためにはどうするかなんて、学ぶ必要はないと思うんです」
医者は長いため息をつきました。
「お嬢さん、結局、わたしたちの誰かがやらなければならないよ」そういってから、少し黙っていました。
ポリアンナは、チラッと医者の顔を見て、少し気の毒になりました。医者はとても悲しげに見えました。困惑しながら、「何とかして助けたい」と心から思いました。だから、内気な声で、こういったのです。
「チルトン先生、お医者様っていう職業は一番うれしい職業だって思うんです」
医者は驚いて振り返りました。
「一番うれしいだって?いつも、毎日、苦しんでいる人を診ているっていうのにかい?」
ポリアンナはうなずきました。
「ええ、わかってます。でも、人を助けていらっしゃるんでしょう?それに、もちろん、喜んで助けておられるはずです!だから、いつも、一番喜んでいらっしゃるはずです」

医者の目には突然熱い涙が浮かびました。医者の生活は単調で孤独でした。奥さんはなく、家はかつて寮だったものを二部屋のオフィスに改造したものでした。仕事は、この医者にとってとても大切なものでした。でも、ポリアンナの輝く目を見ていると、急に愛の手が頭の上にのびて祝福してくれているような気がしました。ポリアンナの目から、彼女がもたらす新しい幸福こそが、長時間の勤務も心配で眠れない夜をも乗り越える、糧になることがわかったのでした。

「お嬢さんに、神様の思し召しがありますように」少し上ずった声でいいました。
それから、患者がみんな好いている笑顔に戻っていいました。「結局、医者も患者と同じように、生のトニックが必要ってわけだな!」
ポリアンナは意味がさっぱりわかりませんでした。でも、シマリスが道路を横切るをみかけると、すべての疑問を忘れてしまいました。

医者は、ポリアンナを家の前で降ろすと、表玄関をはいていたナンシーに笑いかけ、急いで馬車を走らせて行ってしまいました。
「お医者様の馬車に乗れて、最高に楽しいときが過ごせたわ」階段をはねるように上がりながらいいました。「お医者様はすてきよ」

「あの人がですか?」
「ええ、そして、お医者様の仕事は一番喜べる仕事だっていっといたわ」
「ええ、病人を診て回ることがですか?病人じゃないのに病人だって思っている人に会うのよりましだってことですか?」ナンシー疑いを隠しきれませんでした。
ポリアンナはおかしそうに笑いました。
「ええ、そういうことをお医者様もいってらしたわ。でも、喜べることがあるの。あててみて!」
ナンシーは考え込んで、顔をしかめました。ナンシーはだんだん慣れてきて、なかなかうまく「喜び探し」のゲームをやっていると思っていました。「飛び入り質問」と呼んでいる少女の質問を考えるのも好きでした。

「ああ、わかりました!」ナンシーはクスクス笑いました。
「お嬢様がスノウ夫人にいったのと反対のことをいえばいいんですね」
「反対?」ポリアンナは、意味がわからなくて聞き返しました。
「ええ、お嬢様は、みんながスノウ夫人みたいに病気じゃないから喜べるっていったんでしょう?」
「ええ」ポリアンナはうなずきました。
「だから、お医者様は、自分が患者みたいに病気じゃないってことを喜べるんですよ。病気じゃないから、患者が診られるんです」ナンシーはうれしそうにいいました。

今度はポリアンナが顔をしかめる番でした。
「え、ええ」そこでうなずきました。「もちろん、そういう見方もあるわね。でも、わたしはそうはいわなかったわ。それに、それだとちょっと変じゃない。だって、みんなが病気なのがうれしいみたいだわ。あなたは時々変なゲームの遊び方をするのね」ため息をつくと家に入っていってしまいました。

ポリアンナは、おば様が居間にいるのを見つけました。
「庭に乗り入れた男の人は誰ですか、ポリアンナ?」少し厳しく女主人が聞きました。
「ああ、ポリーおば様。あれはチルトン先生です。知ってますか?」
「チルトン先生ですって?あの人がここで何をしているんですか?
「家まで送ってくださったんです。ああ、それからゼリーをペンデルトンさんにあげました。それから・・・」

ポリーはすぐに頭を上げました。
「ポリアンナ、あの人はわたしからだなんて思わなかったでしょうね?」
「ええ、思っていません。わたしがそういいましたから」
ポリーは顔を好調させていいました。
「あなたは、『わたしからじゃない』といったんですか?」
おば様の追及に、ポリアンナは悲しそうに目を見張りました。
「だって、おば様がそういったんじゃありませんか!」

ポリーおば様はため息をつきました。
「わたしがいいたかったのは、わたしからではないということです。ゼリーはあなたからであり、わたしが送ったと思われないようにしなさいということでした。あの人に、わたしからではないとはっきりいうこととは、まったく違います」

そしておば様は怒ったように向こうを向きました。
「やれ、やれ!わたしには全然違いがわからないわ」ポリアンナはため息をつくと、ポリーおば様が定めた場所に帽子をかけにいったのでした。