夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

星の王子さま ブログで読める新訳 IV-3

でも、ものごとのいちばん「たいせつなこと」がよくわかっているぼくたちには、すうじなんてたいしてだいじなことじゃないよね。このはなしも、おとぎばなしみたいにはじめたらよかった。こんなふうに。「むかし、むかしあるところに、じぶんよりすこしおおきなほしにすむ、ちいさなおうじさまがいました。そしておうじさまは、ともだちがほしかったのです」
ものごとがよくわかっているひとには、もっとほんとうらしくきこえたかもしれない。


ぼくがこういうのも、このほんをかんたんによんでほしくないからなんだ。おもいだすのがつらいことをかこうとしているんだから。ちいさなともだちがヒツジといっしょにいってしまってから、もう6ねんたった。わすれないために、かこうとしている。ともだちをわすれてしまうのはかなしい。だれにでもともだちがいるというわけでもない。もしかしたら、ぼくだって、なによりもすうじがすきなおとなみたいになってしまうかもしれない。


そのために、また、えのぐをひとそろいとエンピツをかってきた。このとしになってえをかきはじめるのは、やさしいことではない。だって、6さいのときに、おおヘビのなかみとそとみをかいてから、なにもかいていないんだから。


にがおえはできるだけそっくりにかきたい。でも、あまりじしんがない。いくつかはまあまあだけど、ほかのはあまりにてないようなきがする。それから、ちいさなおうじさまのおおきさをそろえるのもむずかしい。おおきすぎたり、ちいさすぎたりしてる。ふくのいろにもじしんがない。あれこれためして、なんとかやってのけた。


もっとだいじなこまかいことが、まちがっているかもしれない。でも、それはぼくのせいじゃない。ぼくのとだちは、くわしいことはぜんぜんはいわなかったんだから。たぶん、ぼくたちがにているとおもったのかもしれない。でも、かなしいことに、ぼくにはハコのなかにいるヒツジがみえなかった。やっぱり、おとなとかわりないのかもしれない。としをとってしまったんだ。