夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

星の王子さま ブログで読める新訳 V-1

ひがたつにつれて、はなしのはしばしから、ちいさなおうじさまのほしのこと、そこをはなれたこと、それからのぼうけんについてききだすことができた。いろんなことがはっきりしてくるのは、とてもゆっくりで、おうじさまのあたまにうかんでくるのを、じっとまっていなければならなかった。このちょうしで、やっとみっかめに、バオバブのひげきのはなしがきけた。


このきっかけをつくってくれたのが、ありがたいことにあのヒツジだった。なぜなら、ちいさなおうじさまは、とつぜんぎもんがうかんだかのように、ぼくにきいてきたからだ。


「ヒツジが、ちいさなきもたべるってほんとうでしょう」
「そうだね、ほんとうさ」
「ああ、ならよかった」
ヒツジが「ちいさなき」もたべることがどれほどたいせつななのか、ぼくにはわからなかった。でも、おうじさまはこうつづけた。
「だったら、ヒツジはバオバブもたべるよね」
そこで、バオバブは「ちいさなき」ではないこと、それどころか、きょうかいぐらいのおおきさで、ぞうのむれをつれてきても、いっぽんのバオバブのきもたべさせることができないことをおしえてあげた。

「ぞうのむれ」ということばに、おうじさまはふきだした。
「ぼくのほしだったら、ぞうなんてべつのぞうをおんぶしなければならないよ」
でも、そのあとでかしこいことをいった。
バオバブだって、おおきくなるまえは『ちいさなき』だよね」
「まあ、それもそうだろうね。でも、なんだって、ヒツジにちいさなバオバブをたべさせたいんだい」
「そんなのあたりまえじゃない」
おうじさまは、まるでわかりきっていることをいうようなくちぶりでいった。それで、だれのたすけもかりずに、このもんだいのこたえをみつけなくてはならなくなった。


あとでわかったことなんだけど、ほかのほしとおなじように、ちいさなおうじさまがすんでいるほしでも、くさばなは、いいものとわるいものにわかれる。いいタネからは、いいくさばながそだつし、わるいタネからは、わるいくさばながそだつ。タネは、つちのなかにかくれている。ふかくもぐっていて、だれかにおこされるまでは、ねむっている。そして、おこされるとのびをして、はじめはよわよわしく、たいようにむかって、めをそっとのばす。それがただのダイコンやバラのかわいらしいめなら、どこでのびたって、だれももんくはいわない。でも、それがわるいくさばなのめであれば、みつけたらすばやくぬかなければいけないんだ。


ちいさなおうじさまのふるさとには、こまりもののタネがあった。それがバオバブのタネだ。バオバブのタネのおかげでつちがあらされてしまった。はやくぬかないと、ておくれになってしまう。ほしぜんたいをおおうほどおおきくなって、ねっこをのばすからだ。ちいさなほしのうえでバオバブがふえすぎると、ついにはほしをこっぱみじんにしてしまう。