夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

星の王子さま ブログで読める新訳 I-3

「ぼくのえ、だいにごう」はこれです。

それから、おおヘビのそとみをかいたり、おなかのなかをかいたりするのはやめにして、しゃかいか、れきし、さんすう、こくごをべんきょうしたほうがいいと、おとなからいわれた。

だから、6さいで、りっぱなえかきになるというゆめはあきらめた。「ぼくのえ、だいいちごう」と「ぼくのえ、だいにごう」のしっぱいですっかりがっかりしてしまった。おとなはさっぱりわかってくれない。こどもたちはいつでも、なんでも、おとなにはっきりわからせてあげなくちゃいけなくって、つかれてしまう。

だから、ちがうしごとをえらぶことにして、ひこうきのパイロットになるべんきょうをした。そして、せかいのあちこちをとびまわった。


せかいのことをべんきょうしておいてほんとうによかった。そらからみただけで、ちゅうごくかアリゾナかがわかる。よるにどこをとんでいるかわからなくなったときは、べんきょうしたことがやくにたった。


「じゅうだいなこと」にむちゅうになっているおとなを、これまでたくさんみてきた。おとなにかこまれてくらしているんだもの。だから、おとなをじっくりみてみた。それでも、ぼくのかんがえはあまりかわらない。


おとなでも、ものわかりがようさそうなひとには、ためしに「ぼくのえ、だいいちごう」をみてもらう。そのえは、いつももちあるいてるんだ。このひとがほんとうのことがわかるひとだったらっておもう。でも、いつもこたえはおなじ。「それってボウシでしょう」

そうしたら、おおヘビのことや、ジャングルやほしのことなんかいうのはやめにして、そのひとにあわせたはなしをするんだ。はしのことや、ゴルフ、せいじ、それからネクタイのことなんかね。そうすると、おとなたちは、ものわかりのいいひとにあったって、まんぞくするんだ。