夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

星の王子さま ブログで読める新訳 II-1

だから、はなしがあうひともいなくって、ひとりぼっちだった。6ねんまえ、サハラさばくでひこうきじこにあうまでは。エンジンのなかでなにかがこわれたんだ。しゅうりしてくれるひともいなければ、いっしょにのっているひともいなかった。ひとりで、むずかしいしゅうりをしなければならなかった。しぬかいきるか、ぎりぎりだった。のみみずも、ようかぶんしかなかった。


はじめてのよる、ひとのすむところからものすごくとおくはなれたところで、すなのうえにねころがった。ふねがこわれて、いかだにのってうみにぷかぷかういているふなのりよりも、もっとさびしかった。だから、あさはやく、おかしなちいさなこえによばれてめがさめたとき、どれだけおどろいたかわかってくれるとおもう。
そのこえはこういった。
「おねがいです、ヒツジをかいてください!」
「なんだって!」
「ヒツジをかいてくださいってば!」


ぼくはびっくりして、カミナリにうたれたようにとびあがった。めをごしごしとこすってみた。そこには、まじめにぼくをみている、とてもかわったちいさなおとこのこがいた。これが、あとでかいたなかで、いちばんよくできたにがおえ。ほんものみたいに、かわいくはかけなかったんだけど。

でも、ぼくのせいじゃない。ぼくが6さいのときに、おとながえかきになるのをやめさせたんだ。だから、おおヘビのなかみとそとみをかいてから、えをかくべんきょうはしていないんだもの。


おどろいてめをまんまるくして、いきなりでてきたおとこのこをよくよくみてみた。だって、ひとがすんでいるところから、はるかかなたにいたんだ。でも、このちいさなおとこのこは、まいごになったふうでもなければ、つかれて、おなかがペコペコでしにそうで、のどかかわいてカラカラで、こわがっているふうでもなかった。とにかく、さばくのまんなかでまいごになっているかんじじゃぜんぜんなかった。やっと、しゃべれるようになったんで、こういった。
「で、きみはここでなにをしいてるの」


そのこはこたえるかわりに、とてもまじめに、ゆっくりと、おなじことをくりかえした。
「おねがいします。ヒツジをかいてください」
あんまりおかしなことがおこると、おもわずはなしにのってしまうことってあるよね。だから、ひとがすんでいるところからずいぶんとおくはなれたところで、いつしんでもわからないようなときに、ぼくはポケットからペンといちまいのかみをとりだしたんだ。でも、いっしょうけんめいべんきょうしたことは、しゃかいか、れきし、さんすう、こくごだったことをおもいだして、このおちびさんに、ちょっとふきげんそうに、ぼくはえをかいたことがないといった。
「そんなのどうでもいいよ、ヒツジをかいて」とそのこはいった。