夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

ズボンがだめになったとき ヘンリー・ローソン Henry Lawson SoRaJune訳

When Your Pants Begin to Go - by Henry Lawson

垢に汚れたえりをつけ、白くはないシャツを着て
どうやって明日の晩を迎えようと
思いをめぐらせ眠れぬときは、
君は、いわばもの思いにふける、
不幸な男といえるかもしれない。
それでも、絶望の悪魔には、まだやられてはいやしない。
なぜなら、君を一番悩ますことは
ズボンのおしりが、ひどく薄くなっていることだから。
つぎをあてなければいけないほどに。

芝居の中で、主人公に悲劇が訪れれば
役者の着ている服は擦り切れて、おおげさなほどぼろぼろになる。
彼が悲嘆にくれるのを、神々は称え勇気づける。
それでも芝居の関係者たちは、
役者のはいているズボンが、まだまだくたびれていないのに
ちっとも気づきはしないのだ。
もちろん、ズボンの尻のつぎあてが見えれば、
観客たちが笑い転げてしまうので、
そうするわけにはいかないのだけれど。

君はそれでも英雄さ。
頭を上げているかぎり、
革ぐつと靴下を通して肌で舗道を感じるときに。
君は、人よりむしろ英雄的かもしれない。
哀れみを請うのを軽蔑して、冗談をいっていれば。
知り合いたちの、疑いの一瞥を感じることもあるだろう。
でも、ぼろぼろのズボンをはくようになったとき、当然彼らの軽蔑にさらされる。

つかの間、景気がよかったときは、君は消費を楽しんだ。
福の神を捕まえそこなった。
苦しみのお陰で自分に感謝できるという人もいるだろう。
君がこじきとなって野垂れ死にすると言い切る人もいるだろう。
しかし、君はただ笑う。
衣服をかきよせ、ましな帽子をかぶっていられるうちは。
君は気落ちしていても、彼らの予測を笑いとばすだろう。
それでも、ズボンがだめになったとき、男はひどく打ちのめされる。

今も将来も、安楽なんてありはしないが
仲間には、俺の生活はいい塩梅だっていってやるのが一番さ。
男はそういうことが好きなんだ。
男の見栄っていうものだ。
仲間は納得するかもしれないし。
だが、英雄でいることは苦しい。
笑顔でいることは難しい。
一番大事な衣装であるズボンが、ところどころ薄くなってしまっては。

君を一番よく知る友人に、心から慰めてもらえばいい。
今ある不幸が、あふれてしまわないように。
君が泣きたいときは、たずねていける友があるではないか。
友は、君の服はまだまだ大丈夫というだろう。「おれのをみなよ!」
たとえ君の服がつぎはぎだらけでも、友はわからないというだろう。
そして友は、ズボンがもう寿命だってふうには
見えないと誓って言ってくれるだろう。

うちひしがれている兄弟よ!時代は厳しい。
しかし怯んではならない。勇気を持って戦い続ければ、
今の苦しみを笑える日がくるのだ。
豊かなエジプトにさえ、とうもろこしが無くなっても、
アフリカになら少しはあるだろう。
将来のよき日のために、君の微笑をとっておいてくれたまえ。
おれたちは一緒になって困難も、しょっちゅう笑っていけばいい。
ズボンがだめになったときは、
仕立て屋にサイズを測ってもらうんだ。

仕立て屋の女将は安楽な暮らしに慣れていて、
この無骨な詩を目にすれば、さも驚いたふりをするだろう。
彼女の気付け薬のびんをとってやって、立ち去ればいい。
こういうのは、金持ちどもの言い草だ。
世の中では、つぎあては冷たいプライドの下に隠すものだなんて。
おれは思うよ、人間の立派さってことを。
おれは誓うよ。おれたちはくじけたわけじゃない。
人間のプライドにおいて。
たとえズボンがだめになったときでも。



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ヘンリー・ローソン(1867年6月17日−1922年9月2日)
オーストラリア、シドニーで活躍した、作家・詩人。庶民の生活をうたいあげ、国民的詩人と目されている。

http://www.poetrylibrary.edu.au/poets/lawson-henry/when-your-pants-begin-to-go-0108035
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Lawson