夕焼け色の記憶

翻訳した作品を中心に、オーストラリアから見て思ったことなどをつづっていきたいと思います。シドニー在住

グレート・ギャッツビーは時代の先を読む

なんで小説「グレート・ギャッツビー」の主人公、ギャッツビーはグレートのタイトルが与えられているんだろうか?この小説を理解する上でも重要な問題だと思う。

 

 

作者はタイトルをずいぶん悩んだそうで、トリマルキオとか、金色帽子の跳ね上がりもの(この小説の前書きの詩からきてる)とか考えあぐねてしまい、奥さんのゼルダが「グレート・ギャッツビー」 がいいと言ったらしい。でも、本が思ったほど売れなかったんで、タイトルが弱かった、他のタイトルにしておけばよかったと痛く後悔したそうだ。

 

当時、売れなかったのは、ハッピーエンドを好む国民性に反して物語が悲劇的だったことと、作者のフィッツジェラルドが、時代の表面の浅はかさを描く流行作家にすぎないと軽くみられていたことと、新旧時代の入れ替わりの葛藤と、第一次世界大戦と世界大恐慌のはざまのバブル期に浮かれている人間性を鋭く描いていたにもかかわらず、評論家たちが時代を客観的に見る目に欠けていて、この小説の歴史的価値が理解できなかったことによると思う。

 

話がそれた。。。なんでグレートなのかってことだった。

色々、ギャッツビー  に関する評論とか読んだんだけど、一般的な意見は、ギャッツビーが逆境にも負けずデイジーへの愛を貫いたことによるニックからの尊敬に起因するものらしい。

 

でも、これは少し違うよね。だって、ギャッツビーがデイジーを初めて自分の家に招待した時、ギャッツビーの女性に対する理想像が高すぎてデイジーでは役不足だ。。。みたいにニックが観察してるもんね。それに、客観的にみてもデイジーがそこまで魅力的な女性だったかは大いに疑問がある。

 

要するに、ギャッツビーは恋に恋してたように思う。ギャッツビーが本当に愛していたのは自分が理想としているデイジーで、実際のデイジーは収まりきらなかった。だから、九章でデイジーから電話がかかってこなくて、自分の夢が敗れたことを悟ったとき、ギャッツビーはマットに横になってプールに浮かびながら、寂しいけれど意外にあっさり事実を受け入れる気持ちになれたんだと思う。

 

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ところで、最初にニックがお父さんから習ったこととして、人間の品性は生まれで決まるって書いてるよね。そして、その次に、生まれ持った差に関係ない人がいると付け足してる。

 

soraike123.hatenablog.com

 

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これは、ギャッツビーが貧しい家庭に生まれて、十分な教育が受けられなかったにもかかわらず、金持ちの家に生まれて教育が当たり前の人間と比べても、立派に人間レベルで渡り合っていける、つまり品性の差は生まれだけでは決まらないことを、ギャッツビーが証明したことを言っていると思う。品性が劣るのであれば、デイジーも最初からギャッツビーに関わるはずがないし、この悲劇も生まれなかったはずなのだ。そして、その一途さ、寛大さにおいて、上流階級に属しているニックからの信頼と友情を勝ち得た。このギャッツビーの努力に対して、ニックは彼をグレートと呼ぶんだと思う。

 

この、努力次第で運命は開けると示唆してくれるところにこの小説の現代における価値があると思う。もちろん、ギャッツビーは悲劇的に命を落とすわけだけれども、評論家はニックがギャッツビーの夢を引き継いだことを指摘している。

 

この小説の舞台である1922年からわずか7年後に起きた世界大恐慌で、一番に困窮したのはトムやデイジーのような自分の手で稼いだことがない連中だろう。その中でたくましく生き抜いたのは、善悪はさて置いておいて、生活力のためなら手段を選ばないギャッツビーのような新世代と、あとウイルソンのような庶民だろう。国民の大多数を占める庶民は、困難にぶち当たってもその度に知恵を絞り、活路を開き、生き抜くことで自分たちの国を支えてきたのだ。そして、世界大恐慌は世界に広がり、人類は不幸にも二度目の世界大戦に否応なしに巻き込まれていく。

 

そうしてみると、小説「グレート・ギャッツビー」は時代の大変革の前の一瞬を鋭く切り抜き、違う階級に属する人間の翻弄(ほんろう)を描くことで、次に来る破壊的な時代を示唆した重要な一書であると思う。

 

新型コロナウイルスが多くの人々の命を奪い、世界中の人々の生活を圧迫している今、「グレート・ギャッツビー 」が示唆している人類の過ちを繰り返してはならない。苦しい時代だからこそ、いがみ合い、他国を非難することを繰り返していては、時代の教訓から何も学ばなかったことになる。

 

 

だから、ささやかに見えるにしろ、貧富の差という差別を無くして、誰とでも対等にやりあっていこうと夢を抱いたギャッツビーが偉大だったのだ。ギャッツビーの父親がニックに教えてくれた、ギャッツビーがとった 自己鍛錬の方法が光る。一人ひとりが、夢を持ち、その夢の実現のために努力し、その努力が認められる社会。これがギャッツビーの理想だと思う。